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2024.03.04 内田 清隆

二宮金次郎の知られざる顔~江戸時代の企業再生

天才企業再生請負人

二宮金次郎(尊徳)といえば、薪を背負いながら本を読む銅像、親孝行で勉強家のイメージで正直で誠実な性格ばかりが喧伝されているように思います。

 しかし、二宮は、次々と財政難で苦しむ家を再生して名を馳せ、さらには小田原潘を再生し、最後は幕府の再生にも尽力しました。彼は、いわば江戸時代の天才「企業再生請負人」だったのです。

数々の奇跡の再生をもたらした二宮は、ときに精神を病むほど細かな計画を立てる計算高い人物であるとともに、180センチを超える屈強で剛腕な大男でした。

 

二宮の計算高さ

 二宮は、「数字」に偏執狂的にこだわる人間でした。

二宮が事業再生に着手した際にまずしたことは、過去10年以上にわたる極めて精緻な帳簿の作成です。大雑把な帳面しかつけていなかった家の過去の金銭の出入りを正確に突き止めることは困難を極めましたが、二宮は強引に家人を働かせ、常に正確な過去の帳面を作成しました。

 

 そして、二宮はその正確な帳面を基礎に支出限度額(「分度」)を定め、分度に従った綿密な将来計画を立てました。

 二宮の計画でまず驚かされるのは、その超長期的ビジョンです。六十年を以て一周度となし・・・百八十年を以て三周度とし、初六十年を以て盛時となし、中六十年を盛衰の中となし、後六十年を以て、衰時となし・・・、十年毎に一節を立て分度改革の数を定め・・・」 つまり、二宮は、計画を立てる時は、まず180年を三つにわけ60年ごとの計画を立て、次にその60年を6つに分けて10年ごとの計画を立てろと述べています。

 そして二宮はその180年計画に基づく10年計画を前提に、1年1年の計画を立て、さらには毎日の計画を立てていきました。

 二宮の成功は、まずはこの綿密で長期的な計算によっていたのです。

 

二宮の剛腕

新しいことを行う者は常にそうであり二宮に限ったことではないのでしょうが、何の資格もない、当時低い身分であった農民の二宮が武士に新しいルールを押し付けるわけですから、二宮の行くところには常に厳しい反発がありました。 

 全く知らない会社に突然入っていき、激しい反発にあいながらも、新しい、そして厳しいルールを、偉そうで怠け者の社員たちに浸透させていく、そんな奇跡を二宮はその剛腕で次々と実現していきます。

 

 二宮は、良材を育てるにはぬきんでて成長したのと遅れて育たないのを抜き取る。世の人は優れてよく育った木を抜き取るのを知らない。また知っていてもできない。また、手遅れにならないように早く抜き取ることが肝要である。遅れれば非常に害がある」と言っています。

 彼は、有無を言わさず、成長しない、自分についてこない人物を辞めさせていきます。厳しい目標を掲げ、それについてくる気持ちがない人間に対して二宮は非常に厳しい人物でした。

 私が注目するのは、一方で彼は、出来が良く優れた人物をも辞めさせているということです。二宮はその理由をはっきりとは説明していないのですが、理念を共有できない人間は、使える人間であっても組織を一体化させるのに邪魔になるというのが理由だったのではないかと思います。

 いずれにしても、奇跡の再生を実現するためには、反対をものともせず闘い続ける二宮の屈強な姿勢が必要不可欠だったのです。

 

強さと優しさ

 しかしながら、二宮が成功した最大の理由は、その強さではなく、優しさであったと私は思うのです。もちろん、並外れた計算力と剛腕がなければ、数々の成功を収めることができなかったことは間違いありません。しかしその一方で、二宮の誠実さ、正直さ、そして優しさという人間的魅力に多くの人が惹かれ、困難の中を二宮についていったのだと思います。

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格はない」、強さと優しさを常に意識していきたいものです。